実際の現場では

事件性のない異状死体の数は増えていく?

司法解剖によって異状死体と認定された死体については今後も増えていくと言われている、この推測に対して特別異論もなければ反論として挙げられるようなものでもない。日本という島国であっても事件は毎日起こっている。最近では成人していようがなかろうが、簡単に人を殺してしまおうという結論に至ってしまう人もいる。日本の社会という基盤そのものが安定していないからという意見もあるが、現在でいうところでは、中東地域における紛争地域における影響もあながち否定出来ない。具体的に名称はここでは出さないが、最近だと日本人が殺害されたことで更に議論も加熱している。またそうした犯罪組織の影響によって自分たちも戦いに参加できるのではないかと煽られてしまい、現実と空想の区別が付かないまま犯罪に身を黒く染められてしまう人も出てくる。これもつい最近起きた話題としては、中学生が地元の小学校へ真夜中に侵入し、飼育していたヤギを解体しようという事件も起きている。

動物ならまだいいというわけではない、人間でも身元も分からない、本当に犯罪に巻き込まれた結果で死んだのか、それすらも判明しないままの遺体は表に出ないだけで沢山のケースが存在しているだろう。警察組織がそうした社会の裏側に隠された真実と向かい合っていると思うだけでも、正直寒気が走る。ただここで一番危惧したいのは、本当に犯罪という外的要因を経てしまい、死体となったケースについても、解き明かされないまま異状死として認定されなかった死体は公衆衛生上として検視されるのであればまだいいが、現状そういった手段が必ず用いられるわけではないという状況を垣間見ることが出来る。

見落とされてしまう

つまり、警察が犯罪で発生したにも関わらず、犯罪ではなく別の要因で生じた死体であると見なされてしまうことが有るということだ。これについては警察の不祥事という風に言ってしまうとそれまでだが、警察もただ黙っているほど犯罪をそのまま見逃すわけではない。こういう時こそ検視官の出番だが、その検視官でさえ死体が発生した原因が犯罪ではないと勘違いしてしまうことも有る。

もちろんあってはいけないことだ、ただ検視官といえど死体の検死に関してはプロと言っても見抜けない場合もある。間違いが起きてはいけないのは前提では有る、ただやはり時と場合によっ、もしくは人為的に捜査を撹乱する目的などで死体を『異状死』だと見抜けないようにする手段が犯人に講じられればまた変わってくる。調べてみるといい例があった、それは例えば水死体が打ち上げられたとした場合だ。

水死体ももちろん検視する、そして異常があれば検視官によって異状死と認定されれば次の段階となっている司法解剖へと段取りを進められる。ただここで注意しなければならないのが、検視官はあくまで『死体の外側に異状が見つける』だけであって、内側の外傷や死因については専門外となっている。水死体の場合だと溺れてしまったと判断されれば偶発的な事故死だと認定されてしまい、司法解剖がなされないことも有る。そういう意味で考えると、最近巻き起こった京都で毒物による殺害でこれまで4人の男性を殺害してきた女性の話があげられる。

毒物が発見されたからこそ事件性が見えてきた

この事件では警察にどうしてすぐに見抜けなかったと批判が殺到した。だが警察も捜査をする度に不審に思いながらも、確たる犯人の証拠はもちろんだが、遺体には異状がなかったとした時点でそのまま事故として処分してしまう。女性も死体に異状がなければ事件性はないとみなされると判断する可能性があると考えに至り、次から次へと犯行を重ねていったといえる。

ただ今回は死体から胃の中から毒物が発見されたことで過去に起きた事件も含めて、ようやく逮捕へと踏み切ることが出来た。経緯だけを見れば何をしているんだというが、全てを見抜けるほど検視官も万能ではない。見落としてしまう点として、こういったところが一番大きなところと言える。

司法解剖で見過ごされる時もある

では検視官が異状があると判断すれば確定的と決めつけていいのかと思いたくなるが、何と例え司法解剖に回されたとしてもそこで事件性はないと見なされてしまうと言った不祥事も有るというのだ。これについては司法解剖を担当した医師が単純な意味で経験不足、もしくは知識だけを頭に詰め込んだ医師だった場合によくあると言われている。殺人をするにしても明確な痕跡が残されるわけではない、ここでそうした未熟な医師によって重要な証拠を見落として事件性は改めて無いと否定されてしまえば、そこで終了してしまうという。何事も経験とは言うが、明らかに検視官がおかしいと判断したのに医師の判断一つで事件性はないと否定されてしまう事実に、さすがに憤りを覚えてしまう。

ただこうした問題は医師の資質も問題点としてあげられるが、単純に予算面で問題があるというものも関係している。

予算不足という現実

司法解剖をするにしても、施設を運用するためには資金が必要になる。事件を解決するためだからという点を考慮すれば予算はそれなりに出されていると思うが、実際には司法解剖という医学的技術を行使するという点を考慮しても、どう考えても少ないだろうという金額だからだ。どれくらいかというと年間で『3億円』となっている。司法解剖を年間でこの金額で運用しなければならない、足りるだろうと思っている人もいるが、年間100万という死体が発見され、その中で異状死と認定された死体を司法解剖するとなったら、人件費としても、施設費としても、あらゆる面で不足しているという事実が素人目からでも見えてくる。

こうした事実を考えてみると、検視官を支える側に当たる医師たちによる司法解剖を推し進めていくためにも、今後も業界の発達は急務といえる。年間発見される死体と、その中に明らかな異状があるのに事件性が見過ごされてしまう事実、解決しなければならない問題だ。

ドラマ『臨場』から考える、日本の検死事情