解剖を知る

医師にとっては必須スキル

普通の一般人が人体解剖といった手段は凶行と表現される。昨年に起きた女子高生が同級生を殺害・解剖した事件により、そうした猟奇殺人を平気で行う人間がいるのかという衝撃をもたらした。この事件によって少女は述べたのは、人間の体が実際にどういう構造になっているのか興味があったという一言が犯行動機となっている。それも標的と定める人間はだれでもいいとし、殺せるなら誰であっても構わなかったというのも衝撃的だった。

解剖に興味があるという一言だけでここまでの事をしてのけるのを凄いと表現する人はいないだろう。恐れを通り越して本当に人間なのかと疑ってしまうくらい、苛烈な事件はいまだ光明が差し込むことなく暗がりの中を迷走し続けている。こうした事件が出てくるように、解剖という行為そのものは日常においてとても非現実的な行為だ。小学生時代に生物を使って解剖をしたことがある、なんて人もいるかもしれないが、筆者にはそうした経験はない。一つ思うのはそんな授業がなくて本当に良かったということだ、もしもあったら大きなトラウマになっていたと思える。いくら人間ではない、動物だからといっても生きたまま解剖するという事実は覆らない。それが例え死体であったとしてもそうだ、そういう意味で考えれば司法解剖などを行っている医師たちがどれくらい凄いのかと改めて実感させられる。

こうした解剖という技術については、医師には必ず必要なスキルとなる。特に外科的な手術を行う医師になりたいと希望している人であれば、出来なければ通常業務に支障をきたしてしまう。ただ実際のところ医師希望の人にとっては必修科目として組み込まれている。それは避けては通れない、医師としての関門と言えるだろう。

誰も彼も好んでいない事実

医師たちが手術などで体を開いているのを見て聞いていると、彼らは好きでこの仕事をしていると勘違いする人はいないだろう。医師は基本的に人命を助けるために手術という体を開いて外科的方法により病魔の根源を取り除いている。そこに快楽もなければ、喜びもない、むしろ恐れがあると見ていいだろう。実際、医師やそれに準ずる人たちにとって解剖という手段は多大な精神的負荷を伴うものだと見なしている人が非常に多い。医学のため、患者のため、事件解決のため、そうした理由があるからこそ医師たちはようやくメスという得物を持って体を開けるのだ。見たいからという理由だけで体を切り開く、そんな理由で行われる事はまずあってはならないのだ。

医者の卵たちはそうした解剖を技術的に身に着けなければならないため、学生たちは半日をかけて献体された遺体を参考にして学んでいくという。もうこの時点で無理と感じるかもしれないが、それも言ってしまえば慣れなくてはいけないと言わなくてはならない。いくら医者になるためとはいっても遺体を分解する作業に抵抗を持っているため、当然最初からまともに分解できる人はいるはずもない。

また医学生たちが行う解剖で使用される遺体は20体が用意されるという、普通の事件現場でもほぼ見ることのない光景を目の当たりにしなければならない。ある程度数をこなしていけば耐性も出来るかもしれないが、どんなに数をこなしていっても必ず忘れてはならないのが遺体に対しての礼儀と尊厳を込めて、黙祷をしなければならないという決まりがある。いくら献体として提供されたとはいえ、かつては自分たちと同じように動いていた人間をバラすのだ、そこへ人間ではないただの肉塊と見なすような扱いは認められるものではない。医学生たちはそういう意味でも、死体を始めとした解剖をしなければならない瞬間になった際には、ただただ恭悦に甘んじるような態度で望んではいけないというのを認識しなければならない。

生半可な気持ちでは出来ない

検視官以上に、直接死体を調べなければならないため医師たちには解剖という技術は必要となる。ただそれも学生というまだ学ぶ身分にある状況では、そうした解剖が一体何を意味しているのかを知ってしまうと耐えられない人が出てくる。休学・試験に不合格といった、解剖という技術を会得する前に道を挫折してしまう人は必ず出てくる。世間一般で言われている医者になれば裕福になれると言われているが、そんな世間で言われているようなことしか見ていないと医師という道に立つ前から挫折する光景も日常茶飯事と言える。

解剖という技術は今では驚愕するほどに発展している、それも先進で活躍している人々の技術によって、人体の謎を解明するようにあらゆる技術が開発・発達を繰り返して現在の解剖というものが確立されている。検視官たちもそうした解剖が出来る医師たちに対して尊敬と、また死体達に対する無念と人間としての誇りを尊重しながらも事件解明に必要な情報を紐解いていく、こうした日常が別の側面から展開されている事実を認識しなければならない。

ドラマ『臨場』から考える、日本の検死事情