問題点を考察

いかにして解決していくべきか

こうした問題点が内包している中で今後日本として検死というものをどのように確立化させていくかが重要となってくる。ただココで問題とするべきは検視官やそれらによって依頼された医師たちによる司法解剖という手段がきちんと利用される死体であれば、まだ多少なりとも死の原因が究明される。肉体的に開かれるという事はあっても、それでも人としての尊厳を考えればまだ誰にも気づかれることなく、異状死体という風に認定されなかったものについては警察などに死因を定義されてしまうといった問題は解消しなければならないところだ。こうした問題で一番上げられるのは、浮浪者の存在だ。彼らの場合、身寄りがないまま世間と切り離された生活を強制されている彼らの死に気を止める人はあまりいないだろう。自身の身内であればまだしも、身よりも頼れる人もいない中ではそうした人々にとって見れば誰も居ない孤独の世界で寂しく命を落とし、どうして死んでしまったのかさえも解き明かされないままただただモノを処分するような扱われ方をされてしまう。

もちろんそういったことが本当にされているわけではないが、中には非道な扱われ方をされているケースもあると考えられる。だからこそ公衆衛生上の検死というものが行われなければならないとまで言われている。ただそうした取り組みが十分になされていない問題もある。そもそもどうして問題が起きてしまっているのかについて考えていくと、主な原因として二つ考えられる。一つはこの日本に『監察医制度が施行されていない』ということ、そしてもう一つが『二つの検死制度が将来的にどのようなあり方をしていくべきなのか』という問題だ。現状の問題として、現在進行形で考えていかなければならない主要な問題はこの二つとなっている。ここではこの二つの問題に着目して話をしていこう。

監察医制度とは

公衆衛生上の検視をすることの意味としては、犯罪に巻き込まれていない死体を解剖して死因を確認する事とあるが、これは何も犯罪という人為的に起こったものだけに焦点が当てられるわけではない。この検死には天災として巻き起こった死体についても調査を行う必要があると考えられている。例としてあげるなら伝染病を始めとした災害によって発生してしまった死体に関しては要調査が求められている。これで一番恐ろしいのが、発症した伝染病をいかに迅速かつ的確に病原菌を撲滅し、感染した人を助けるためにも治療法を探すために死体を調査しなければならない。公衆衛生上の検死における最大の目的としては、病気が伝染することを防ぐために行うということを考えれば、納得する人もいると思う。

現在、司法解剖に携わる人々を始めとした業界からは全国的に監察医制度を広める必要があると言われている。これが先に紹介した公衆衛生目的の検死が行える地域は全国で5都市しかないという理由に繋がる。つまり、監察医制度とは現行日本の法律においてはその指定された都市でしか設置することが出来ない決まりとなっている。見てもらえれば分かると思うが、これらの都市は日本の経済気候を考慮しても分かるように、全てが主力都市ばかりとなっている。そうした都市には必然と多くの人々が住んでいるため監察医の設置は必然というわけだが、これでもしこの都市部以外で伝染病が発生した場合にはどうするのか。監察医ではないが全国には主要な監察医制度がなくても公衆衛生上の解剖を行うことが出来る施設が存在しているのだが、紹介した以外の都市以外は基本そのシステムを採用して独自に運用しているという。

国の一システムとして考えれば確かにどうかと思う点だ。主力な都市機構こそ活かしておかなければならないという理由も分かるが、これでは地方に住まう人々は蔑ろにされていると感じてもおかしくない扱いと言ってもいいだろう。日本の医療技術が発展するためにも、地方における医学も発達しなければ意味が無いというのを滑稽なほどに証明した結果だった。

二つの検死制度

犯罪などによって生じた検死、伝染病といった公衆衛生上で行わなければならない検死、この二つがこれから先もシステムの歯車として循環していくためには根付いている問題に対する解決策を見出さなければならない。根本から問題そのものを解決できるならそれに越したことはないが、今の時点でその問題に触れても答えは導き出せるものではない。少なくともシステムとして許容オーバーにならないように取り計らう必要はある。そういった意味で、これからの日本において検死制度はこれからも改善していかなければならないと言われている。

中でも特に問題として根付いているのが『それぞれが独立しているところがある』といった点だろうか。制度としてみればこれらの検死制度はそれぞれ独立してシステムを運用しているように見られているが、本当のところはそうした問題を抱える所を改めなければならないのかもしれない。確かに意味合いと利用するという点でいえば全く異なるシステムだから独立したままで良いと解釈する人もいるかもしれないが、時にはこれら二つの検死制度は時に相互乗り入れといった現象が起きているほど根底から全く別だとする区別をする必要はないとも言えるだろう。

だからこそ将来的な視点からしても、これから先検死制度において犯罪にしても、公衆衛生上にしても、解剖するに当たってどのように社会に役立てて行くべきかが重要になってくると考えられる。

人の尊厳を守るために

司法解剖という手段は時に人を苦しめることになり、時に多くの人の命を救うことが出来る手段としても用いることが出来る。そう考えると初めて人体解剖を行った人類と、そして日本にも人体解剖を取り扱った解体新書を創りだした杉田玄白にしても、彼らの医師としての知識と技術、そしてこれまで命を落としてしまい、そうした人体から採取された情報から多くの人々を救い続けている事実を考慮すれば見えてくるのは、素晴らしい歴史だ。

ただ人の死因というのは解剖されれば必ず突き止められる、というような状況ではないとも言われている。

ドラマ『臨場』から考える、日本の検死事情