司法解剖について

検視官には出来ない業務

検視官という仕事に注目していくと決して見過ごしてはいけないのが死体という存在だ。これは後にも先にも検視という仕事をする上で、事件を解き明かすために必要な手がかりを内包している。一般的に言われる刑法に関わる事件については、死体が綺麗な状態となっている事件というものはほとんど存在しない。大半が死体に何かしらの損傷が加わっており、見た目が無傷でも内蔵が破裂しているといった、そんな状況もよくあると言える。大半の事件現場が酷いと言われている、自殺の現場においてもそうだ。中でも首吊り死体は内臓が最悪臀部から出てくるといったショッキングすぎる様相ということもあって、死体を見慣れていない人にすれば地獄絵図も等しい光景だ。

検視官たちはそんな死体と直接向き合う仕事をしている、それがどれだけ精神的に消耗を要する仕事なのか、またなったとしてもそれら死体に見ても耐えられるだけの精神力を養っていかないといけない。ただそんな検視官と言っても出来ない仕事がある、死体に残された手がかりを紐解くためには表面上に残された手がかりだけは解明できない真実もある。だからこそ検視ないし検死という仕事において『解剖』という手段は欠かせないのだ。

近年、どういった影響を受けているのかは分からないにしても、人間を解剖して見たいという欲望にかられて実際に人間を解体した、という事件が発生している。何をどうしたらそんな事をしたいというのだろうかと思ってしまう。人間もそうだが生物を解体するというのはただ、そこに隠された仕組みを解き明かすためにバラすというのはただの快楽的猟奇手段でしかない。犯罪現場で生じた死体は、ただの『肉塊』ではなく、『人間』という尊厳が存在していることを自覚していないのだろう。この点を見誤ってしまうと、人一人ばらしたところで問題無いと思い込んでしまえば、その人は既に人間という枠から外れた『怪物』と表現されるのではないか。

検死における解剖は、そうした死体をただそこにある肉の塊であるとみなすのではなく、人間ということを強く意識していなければならない。ここに宗教的な価値観を持ち込まれるのもそうだが、日本はもちろん、死体を蔑ろにしていいといった考えを示している宗教は殆ど無い。仕事で解剖されているのは、ただ無差別に快感を求めるために行われているわけではないというのを、先に述べておく。

司法解剖とは

解剖と言っても種類がある、今回は検視官という点を加味して話をしていくと述べる必要がある定義として、解剖でも『司法解剖』というものに着目する必要がある。司法解剖は基本、事件において死体が生じれば必ず行われるものだと認識していいだろう。ただ死体は死体でも、関係者だった人からすればそれは『遺体』というものになっている。それを解剖することに抵抗を示す人は絶対にいる。そのため大体は司法解剖が行われる場合は了承をとってから行われるが、実際のところはそうした了解を取る必要はないという。職務を全うするために、司法解剖を行う医師は裁判所から『鑑定処分許可状』が発行されれば強制的に執行出来るという決まりになっている。ただこれをよしとしないとする宗教的価値観が絡んでくるため、了承を取るのは決まり事のようになっている。

司法解剖を行うのは検視官などの警察ではない、もしも資格を持っているといった特殊なケースがあれば可能かもしれないが、基本的には捜査当局の嘱託を受けた者という風に指定されている。そのため一時期は警察協力医といった臨床医に依頼することもあったそうだ。ただそうなると検視官の中に医師免許を実際に持っている人がいれば、そうした検視を実際に行うこともあり得るということになる。

司法解剖で調べること

司法解剖と言ってもただ死体を解剖するのではない、そこにある死体からあらゆるデータを採取するために様々な情報を引き出していかなければならない。その中には直接事件と関係がない情報であっても調べなければならない決まりと、仕事の手順となっている。具体的にどんなことを調べるのかというと、

  • 身長・体重を始め、その他身体的な面における持病といった情報を始め、果ては生前身につけていた衣類なども検査する
  • 身体的な特徴を隅々まで調べあげる。性別はもちろん、果ては性器という部分についてまで隅々調べる
  • 死体となった直後に発生している硬直具合、また白骨化しているのであれば時間的な経過といった部分を調べる
  • 体のどの部位が具体的に損傷しており、それらが直接的な死因に直結しているかどうか確認する
  • 内蔵などの臓器部分が破損や汚染、損傷などの現象が起きていないか体を開いて調べる
  • 調べあげた体、取り上げた内臓に至るまで写真撮影し、その後細胞レベルに至るまで以上が出ていないかどうかを科学的に調べる
  • 一通り調べ終わったら、取り出した内臓を戻し、縫合して元の状態に戻す
  • その後、ひとしきり調べあげた情報を元に鑑定書を作成し、それらを参考に更に詳しく死体の状況を調査していく

大まかな流れとしてはこんなところだ。こうした作業が行われるというのは、遺族にとっては大変辛いことだと言える。大人にしても子供にしても、自分たちの大切な人が事件を解読するためとはいって、徹底的に体を分解されて詳細に調べ上げられる光景は見るに耐えない。

医師はそうした現場に何度となく立ち尽くしているが、それでも未経験の医師からすればそうした現場は精神に強いダメージを与える。特に素人ともなればそうした物を見るだけで嗚咽を出してしまう人も中にはいるだろう。検視官こそ表面的な調査をしなければならないのも辛いところだが、やはりその一歩先となる解剖となると話の次元がどこか違う場所へ移動していると錯覚してしまう。

礼を忘れない

司法解剖を行う場合、死体に対しての尊厳は決して怠ってはならないという決まりも当然存在している。そもそも宗教において死体という存在を神聖視しているものもある。単純に身内だった人をバラバラにされてしまうということを拒否する人もいるだろう。事件を解き明かすためとはいえ、人間を解剖するという行為を肯定的に捉えられる人が少ない。事件として起きた分解殺人事件については、そうした人を殺めるという間違いもそうだが、それによって生じた遺体をただ自分の興味関心が赴くままに解剖する行為は容認できるものではない。

だからこそ人間としての尊厳と存在を蔑ろにせず、また尊重も忘れてはいけないという決まりも存在している。

ドラマ『臨場』から考える、日本の検死事情